ネオキャリアの社長がブログでこんなこと言ってました。
この人は就職活動の時に実際に話を聞いてたから何か気になった。
ってかアマチャンですね自分。。
↓
最近良く思うこと。
「自分を勘違いしている人間が多い」
人間はおぎゃーと生まれて、親に育てられ物心がつく。
親の背中をみて、小学校、中学校、高校と卒業をし、終始一貫「言われたことだけをやり続ける教育」を受ける。
その後、一部の人間は就職をし、大半の人間は初めて自由な、束縛のされない「大学」というところに進学をする。
今回は大学に行く人間にフォーカスを当てるが、残念なことに「大学」というところは、何のために存在するのだろう?と私は良く感じる。
小、中、高校は、集団行動の中での自分のあり方や存在意義の見つけ方、人間としてのあり方など多くのことを学ぶ場ではあるが、大学では、ある程度自由で特に学ぶものはない。
本来は、この後数十年と続く「社会」で適応できる場であるはずが、私の記憶ではまったくそんな場はなかった。
結局大学で「社会」に適応するための教育は特にされないため、一人一人が自由に何かを学ぶ。
アルバイトをする人間、インターンをする人間、他にも様々な人間がいる。結果、社会に出たときに既にかなり差がついているケースが多い。
話をメインテーマへ。
昨今、就職をしてから、3年で3割が退職をする時代と言われているが、私が感じるのは、本当に自分がやりたいことをイメージして、ポジティブに退職をしていく人間など一握り。大体の人間は
「目の前の現実から逃げ出したいだけ」
であり、隣の芝生が青く見えてしまっているならまだしも、隣の芝生すら発見することも出来ていない人間が多い。私からすると不思議でならない。他社の社長の話も色々と聞くが、多くの早期退職者に言えることは、
「社会の厳しさをわかっていない」
ということ。結局、社会というのは何処に行っても厳しいわけである。それが仕事内容なのか、会社の状態なのか、人間関係なのか、それはそれぞれの会社によって厳しさは違えど、完璧な会社など世の中には存在をしない。世の中にあるものは全て不完全であり、だからこそ人間は魅力や遣り甲斐を感じるのである。
今目の前のことが大変だから、辛いからといって、目の前から逃げるような人間が出来るだけ少ない世の中になってほしいし、そういった世の中にするために、一役を買いたいと本当に思う。
よく、自分がやりたいことって?と悩む人間がたくさんいるが、
「社会で何も経験していないのに、やりたいことが見つかるはずがないでしょ。」
と正直思う。
今まで泳いだことがなく、2回ぐらい泳ぐ練習をして泳げないな・・・と思ったA君が、
「先生!私バタフライやりたいんです!」
「先生!私泳ぐ事はやっぱり苦手です。私は走るほうが得意です!」
と言っているのと一緒で、まず泳げるようになったら、初めてそれよりもレベルが高いことが出来て、それ以外のことを身につけれるのである。
今、自分の目の前にある与えられた責任を上司がいても果たせない人間が、自分ひとりで何か出来るはずがない。
出来る人間は何をやっても出来るし、出来ない人間は何をやっても出来ない。
人から魅力的に見える人間は何処にいっても魅力的だし、そうではない人間はどこにいっても同じ。
社会人で新卒1年目~3年目ぐらいってオギャーって生まれてようやく歩き方を覚え言葉を覚えている状況。
その歩き方を覚えている最中に、「俺なんで今歩いているんだろう、俺なんで言葉覚えているんだろう」
と考えちゃったら、結局その赤ちゃんは歩けなくなるし、言葉を話せなくなって、社会に適応できなくなると一緒。
まったく誰もいなければ別として、自分よりも魅力的で自分よりも経験をしている人が少なからずその組織にいるのであれば、3年は目の前にあることとまっすぐに向き合い、そこに「没頭」するぐらいでなければ、本当にその後の人生がハッピーになるとは私は思えない。
今、社会人3年未満で、転職をしようとか、今の仕事やめたいとか、ネガティブな志向を持っている人、もしくはポジティブな志向だと自分は思っているけど、実は何も具体的に決まっていない人。
一歩踏みとどまってよーく考えてみたほうが良いです。
以上、社会人7年目の独り言でした。
だってさ。
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